妙見堂(番神堂)
妙見堂(番神堂)

 20坪 木造瓦葺平屋入母屋造
 本堂の南にあり享保年代の建造で当時は番神堂といわれていた。
 北辰妙見大菩薩、七面大天女、三十番神を祈祀する。

 徳川末期山崎藩も他藩と同様に藩財政は窮乏の極に達していた。
 このため藩財政窮乏を乗り切るため御用金の調達がなされたが、思うにまかさず藩主も頭を痛められていた。
 時の家老でもあり、平素より当山妙見信仰の深かった武間氏は当山の妙見大菩薩にこの苦境を切り抜けられるよう祈念したところ、金策の都合もよくなり無事目的が達せられた。
 藩主もその後、信仰厚く「妙法者即是心也」の扁額を当山に送り現存する。
 その頃より妙見堂と称するに至る。

(令和5年、幕を新設)

中央に妙見大菩薩、右側に三十番神、左側に七面大明神をお祀りする。

令和5年、妙見堂に幕が新設された。
幕の左側には能勢家の家紋である矢筈十文字紋、
右側には篠の丸城の最後の城主、黒田家の家紋である藤が記されている。

妙見大菩薩

妙見大菩薩

 甲冑を纏い刀を掲げた勇ましいお姿をされている。
 妙見菩薩は『北辰』の名の通り、北極星を司る菩薩とされる。
 古来より人々は「運命は星の巡りに左右される」と考え、特に、巡る星々の中心に在り続け不動の存在である北極星は「星々の王」であるとされてきた。
 星々の動きを司る妙見菩薩は「開運ご利益」があるとされ、また「武力」を司る北斗七星を従えていると考えられた事から神として「法華経を信じる人を守護する」守護神としても信仰されるようになった。その為、魔や厄を払う力強いお姿をされている。

妙勝寺では新年の節に妙見さまにご祈願し、新年の開運をご祈願しています。

三十番神


三十番神

 三十番神は、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のことで、太陰太陽暦では月の日数は29日か30日であることから三十番神とされた。
 特に日蓮宗・法華宗(法華神道)で重視され、法華経守護の神(諸天善神)とされた。

七面大明神

七面大明神

 七面大明神は、七面天女とも呼ばれ日蓮宗において法華経を守護するとされる女神。
 七面天女は当初、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰され、日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった。
 その本地は、山梨県南巨摩郡早川町にある標高1982mの七面山山頂にある寺(敬慎院)に祀られている神で、吉祥天とも弁財天ともいわれる。
 このお像の背面には『第十一世日鹿上人』(1728~1736)のお名前が記されており、約300年前から檀信徒の方々に信仰されていた事が伺えます。

 山梨県の身延山には日蓮宗の総本山・久遠寺があります。その身延山の南西に七面山という山があり、日蓮聖人以前の頃から山岳修行の霊山として信仰されてきました。伝承では、身延山に入った日蓮聖人が弟子・信徒に説法をする場に、ある時から見慣れない美しい女性が現れ説法を聴聞するようになったそうです。次第に周囲の人達もその事に気付き不審に思い始めると、目蓮聖人は女性に本当の姿を見せるように促します。女性はたちまちに緋色に輝く龍へと姿を変え『私は七面山に往み身延一帯を守護しております』『法華経を信じる人を護り、やすらぎを与えましょう』と言うと七面山の方角へ飛び去って行ったと伝えられています。そのため、日蓮宗では七面大明神さまを法華経の守護神として多くの寺院でお祀りしております。(妙勝寺通信「法の光」No.280号より)

 平成2年(1990)、篠の丸城址にあった飛び地境内「奥の院」が無住となり老朽化が激しくなったため庫裏を解体、翌年にはお堂も解体され、祀られていた妙見大菩薩をこの妙見堂に合祀した。

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