墓無い=儚い=心無い

檀家さんを通じて色々な経験をさせていただきました。
家が続くことは当たり前のように思っていました。しかし、これは大変なことなのです。
これを乗りきるのに養子縁組で維持された歴史があります。
現代、家の継承は薄れています。
その結果が墓仕舞いでしょう。
墓仕舞いは継承者の問題と次の世代に負担を掛けたくないという理由からです。
私は常々心を育むのが佛教の大切な教えと話します。
日本人の心は約8000年前に芽生えたと推測されています。それは、お墓の出現によります。人が亡くなって可哀想にという感情や大切な人を葬るという思いです。
私たちが心を育むとはご先祖に手を合わせることだと思います。
その墓が無くなっていきつつあります。子孫が居るにもかかわらずです。
心を育むとはどういうことかを深く考えていないのです。
墓無い人生=儚い人生=心無い人生 になるのではないかと危惧します。
心を育むのは一生です。
今私たちが生きているということは、ご先祖が人類誕生にまでさかのぼるということです。命のリレーに感謝です。

青年がお寺にご先祖捜しに来られます。
「親はあまり関心がないようです。私はルーツを探したいのです。親には話していません。」
この様に親子でも感性は違います。
親の知らないことが沢山あります。
子供のことについても知らないことがあって当たり前です。人間性が違うのですから。

お墓が負担になる・・どう負担なのでしょうか?
お墓参りですか。お墓の維持費ですか。
それより、お盆やお正月に墓参りする事で得ていることがあるように思います。
今墓仕舞いするのにもお金はかかります。
なら、次の世代にお墓とお金を渡せば良いのです。

2023年2月16日 | カテゴリー : 住職より | 投稿者 : (管理者)大岩